紺の綴帳

趣味のある人生を模索し今を生きる、20代男子の記録

多動力とは何かを考えて書きました。

皆さん、おはようございます。お元気ですか?

自分はそこそこ元気です。

さて、今回は多動力についてちょっと考察込みで述べたいと思います。

(この先敬語でなくなる部分があります。少々感情を込めて記事を書いている副作用と思って皆さんご了承ください)

 

 

 

 

多動力

最初にこの言葉を聞いたときは、文字通り多く動く力という意味だと思っていましたが、ホリエモンさん曰く「いくつもの異なることを同時にこなす力のことを言う。」

この言葉だけを聞いたら何でもかんでもあらゆることをこなす多方面に優れた完璧超人のような印象を受けます。

しかし、この「多動力」を持つ人は傍からみれば落ち着きのない人、下手をすればADHDとみなされる場合もあったかもしれないほど不安定な人が多いようです。

一昔前はこの多動力は評価されることは難しかったでしょう。

しかし、今の時代転職が当たり前、AIにどんどんひとは仕事を奪われつつあるご時世に、一つの職業で定年退職まで食べていこうという思想はどんどん薄れ、今や別の業界にジョブチェンジするのが普通の見方もあります。

自分もその考えを支持する一人としてこれを主張します。

私自身高校受験、大学受験、就職活動と長らく今の社会のしがらみにとらわれ、自分自身がやりたいことを見つけられない日々を送っていた、今の社会のシステムにうっすらと疑問を抱きながらも何も行動できない葛藤に悩まされる毎日を送っていました。

しかし、この多動力という本を手にして読んだ時、否それ以前からホリエモンさんの考えに触れた時から自分の中の社会に対しての矛盾が形となって表れたように思います。

・永遠の3歳児たれ 

この言葉は人間の心の老いに対しての抗いの意味が込められたメッセージと受け取っています。

人が老いるのは、単に歳をとるからではない、新しいものに興味がなくなった瞬間に訪れる「飽き」がでるからだ。

(*注:体験談です)

これは私が大学生の時に体験している

居酒屋のアルバイトをいている際、カウンターで客相手に熱燗をふるまう69歳のマスターがいた、店長が料理を作り、私はそばで焼き鳥を皿に乗せて客に渡す。

その作業が延々と続いたとき、ふと店長の顔を見ると歳を重ねている割に、当時二十歳の自分よりずっと若々しく見えたのだ、このときのことは5年たった今でも鮮明に覚えている。

このあたりから自分は他の二十歳の子よりずっと老けていると思い始めた。

今にして思う、わたしはずいぶん面白くない時間を過ごして感情がかれてしまっていたのではないか?_

無邪気な子供の方がいまの自分よりよっぽど賢しくみえる、

多動力は誰もが持っている好奇心に対する意欲だ、

大人になるにつれ、みんな自分の中の常識を大事にし、型に嵌ってしまい、そこからぬけだそうとも思わなくなる。

人生所詮こんなものだ、結局みんなその思い込みから抜け出せなくなる、

逆に言えば今の時代は自分の心の持ちよう次第でいくらでも若返ることができる、

新しいことに興味をなくした若者が精神的に歳をとっているようにみえ、

反対にまだ見ぬ刺激を求めるならば年寄りでも若々しいようにみえる。

ハウルの動く城」もそれが顕著にでていると思う。

ヒロインのソフィーは外見こそ10代の少女ではあったけど最初の精神年齢が90歳の老婆だったという人生に疲れた若者の典型例だったように思う。

それがハウルや荒れ地の魔女と出会い 外見年齢と精神年齢を入れ替える魔法をかけられ、新たな生活や恋を経験することによって最終的に元の外見年齢の容姿に戻れたという話だ。

私はこの多動力と出会い、自分が精神的に老いていく危機感を感じた、

 

ここで元の口調に戻りますが、

 

誰だってずっと子供でいたいとおもうときがあると思います!!

そりゃ社会人になって、責任負うような立場になって、日々精神すり減らすようなことは誰も好き好んでやりたがらないと正直思います。

お金を稼ぐとはいえ仕方ないことでもありますが。

だけどそれで精神年齢が老人になるのはなんか嫌です。

この多動力に倣って、新しいことにどんどんチャレンジしていく人生の方が私としては魅力的に写ります。

結構長く記事を書きましたが、結論をいうととにかく動く!!

それがキーワードだと思います。

今回はこの辺で。それではまた!!